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Author:さと
トマトが好きな物書き大学生です。
目下の悩みは「一人暮らししたらトマトをどうやって補給しようか」

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2014.05
26
Category : 独り言
先日、祖父を見送ってきました。
色々あって、私にとってはこれが初めてのお葬式でした。
遠方に住んでおり、大学との兼ね合いもあってお通夜には出席しなかったのですが、お通夜の後の食事で祖父母のたくさんの兄弟や姪っ子甥っ子を見てびっくりしました。
初めて、おじいちゃんが「おじいちゃん」じゃないことを知りました。おじいちゃんは兄であり弟であり、おじさんでありお父さんだったんだって、わかった。
同じ部屋に置いてあった棺を覗くと、いつもより白い顔の祖父がいました。お見舞いに言ったときには苦しそうだったのに、寝ているかのような表情で安心したのを覚えています。
棺の中に、祖父の頭の隣に絵はがきがあることに気づいて。もう片側には色鉛筆と絵筆が置かれていました。私は家じゅうに飾られていた祖父の絵を思い出して喉が締まりました。10年以上もぼけてまともに好きなことはできていなかったから、「また描けるといいね」って思って入れたんだと思います。なんだか悲しいようで、ほっとしたようで、自分でもよくわかりません。

お葬式では孫が受付を担当しました。私と、いとこと、弟。いとこばかりがしっかりしていて、私はあまり役に立てませんでした。申し訳ない。
来ていただいた人の中に、祖父と会社で一緒に働いていた人や、祖父には会社でお世話になったと言う人がいて、すごいなあと思いました。80を超えてまで、こうやって最後に会いに来てくれる人がいるんだと思うと、働くのも悪くないな、と。
弔電の紹介では、祖父が働いていた会社や父が働いている会社からのものが多く、しょうがないんですけど事務的な内容が多かったんです。
ぼけっと聞いていたら、一通、祖父の名前を呼んで始まるものがありました。「○○(名字)くん」、と祖父を呼ぶその人が、祖父の死を悼んでいるのが強く強く伝わってきて、祖父がこの場に生きていないのがつらくてしょうがありませんでした。
「また二人で語り合いたかったよ」という言葉のままの文面が、祖父に届いていたらいいなあ。
棺に花を供えていく段になって、無性に悲しさがこみ上げてきました。
なんでかわからないけど「もう動かない」っていうだけのことがただただ悲しい。喜怒哀楽にそれぞれ色があって、感情はその色の混ざり合いでできているのだとしたら、そのときはまさに「哀」の色一色でした。
棺が段々と花で埋まっていくのを見ながら「綺麗だな」とぼんやり思っていました。今度は綺麗でしょうがなくて涙が出てくるくらいでした。こんなに綺麗に死ねるんだ、と。不謹慎なのかもしれないけど。

斎場に向かうまでは人と話す気もしなかったのですが、帰ってお昼を食べる頃にはだいぶ家族と話すようになりました。
そこで父が「さとの書いた小説こそっと読んだんだわ」とカミングアウトし恥ずかしくて死にそうになってた…。恥ずかしい…。
斎場で思ったのは、しょうがないんだろうけど棺を運ぶ機械がウィーンと鳴るのが気になりました。
遺骨と対面したとき、やっぱりちょっと変わったにおいと、少し離れていても感じる熱気に気づかざるを得ませんでした。この骨が本当におじいちゃんなのか、それを本当に現実味を持って理解するのは難しいんじゃないかなあ。ライブのときに感じる非現実感と同じで。

お葬式って生きてる人間のためにやるものだと思ってました。今もその考えは変わっていません。でも、「花を手向けたい」「しっかりお別れをしたい」っていうのは全部が全部生きてる人のエゴめいたものではないな、って感じました。
そりゃあ死んだ人はもう生きてないけど、その動作の対象は感覚すら持ち合わせてないのかもしれないけど、行為自体に敬意や愛情が含まれてると思うよ。
「やらない善よりやる偽善」っていう言葉が震災のときに流行ったけど、「やる偽善」は決してただの偽善じゃないんだと思う、それと同じです。

でもあわよくば、私は自分のお葬式を斜め上から眺めたいなと。それを楽しみに生きていこうと思います。
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